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参議院憲法調査会での発言
第147国会 平成12(2000)年4月5日
早稲田大学政治経済学部政治学科4年の石川貴夫です。本日発言の機会をいただきましたことを大変感謝いたしますとともに、国民の一人として小渕前首相のご回復を心よりお祈り申し上げます。
さて、憲法とは国の形であるといいます。わが国の憲法はわが国の偉大なる歴史、誇りに満ちた今、そして希望と責任ある未来の象徴であるべきです。
昨今において、日本国憲法は第二次世界大戦後の占領軍からの押し付けであるという議論があります。事の真偽を断ずるに足る知識は私にはありません。しかし、少なくともそのような疑念が沸くこと自体に大きな問題があると言わざるを得ません。
われわれ国民がわが国の憲法に対して、日本国民の日本国民によるわが国と世界の平和を目指すものであると確信できないとすれば、それは国家の存在意義そのものが危機的な状況であると思います。また、前文に加えて条文は103か条に及ぶにもかかわらず、日本国憲法は半世紀以上前の全くそのままの姿です。それが今日われわれ国民の求めるものであるとは思えません。
わが国の最高法規であるはずの日本国憲法は、守られてきたのではなく、実は置き去りにされてきたと言う方が、正しいのではないでしょうか。それはつまり護憲ではなく、「棄憲」です。
国内外において国民の命さえも満足に守れない憲法など、あってよいはずがありません。国民の命と安全を保障するために現実に存在している自衛隊を明確に定義できない憲法などあってよいはずがありません。さらに、日本国民に恩恵を保証したとしても、わが国の援助を求める諸外国からの要請にこたえられない憲法などあってよいはずがありません。憲法違反を問うよりも、憲法が現実違反であることを問題にすべきです。同時に時の政治権力が恣意的に憲法を曲解するような隙間も決してあってはなりません。「解釈の変更」はあまりに危険なレトリックだと感じます。
熟慮過程を経ずに憲法を変えるべきではありません。しかし、憲法は神聖不可侵な物では決してなく、あくまでもわれわれ日本国民の民主主義への不断の努力の象徴であるはずです。その努力を怠り、尻込みしてしまうことは、まさに不名誉な恐れであると思います。
確かに、現行の日本国憲法にはすばらしい点がたくさんあると思います。しかし、それをより今日に適した形にしていくことは当選のことです。改悪になる可能性があるから国会は決して発議しないというのは、実は主権者であるわれわれ国民を信頼していないからだとしか思えません。
われわれは今、希望と勇気と責任を持って新しい時代を切り開いていくべきです。恐れに彩られた停滞は、まさに退行を意味するに等しいと考えます。もし論憲に終わってしまっては、それは取り返すことの出来ない歴史的な過ちになると私は確信します。
ありがとうございました。
(終)
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